開かれた国の公民

自分と政治的意見が違い,経済的ポジションが違い,宗教が違い,言語が違い,価値観も美意識も違う隣人たちと,それでもにこやかに共生できるだけの度量をもつ人間のことである.仮に隣人たちが利己的にふるまい,公共の福利を配慮しないようであっても,そのような隣人たちを歓待することが「公民の義務」であると思える人間のことである.つねづね書いているように「公民的成熟」に達した市民が全体の15%いれば,あとの85%が「自己利益しか求めない子ども」たちであっても,社会システムは機能すると私は思っている.
内田先生のブログより.開かれた国になるためだって.オイラはそんなに度量が広くないから無理かな.