正味の人を見る

特にイデオロギーに対してはつよい警戒心を持っている.きれいごとや勇ましいことを言ってきた人間が修羅場になると,どれくらい卑劣にふるまうのか.逆に言葉少なく黙々と働いてきた人が,思いがけない気高さや勇気を発揮するのも見てきた.ですから,人を見るときの基準がその人の家柄だとか学歴だとか地位だとか,あるいは語る言葉の整合性ではない.そうではなくて「正味の人を見る」.「人間として信じられるか,信じられないか」だった.
内田先生のコラムより.なるほど...そういう実体験がモノの本質を見極めようとする力を養っていくんですな.