自分たちはどうするんだ!

松下電器は人を作るところである」「本田技術研究所は人の気持ちを研究するところである」――これらの定義は抽象的であると同時に主観的である.私が感じるのは,会議の場に分析や批評があふれはするが,ついぞ「自分たちはどうするんだ」とか「自分たちは事業をこう定義する」といった肚から出る主観的な意志が立ち現われてこない.結局,事業計画上の数値目標だけが,客観性・合理性を帯びた金科玉条として組織の中を跋扈することになる.「つたなくてもいい,粗くてもいい.もっと抽象的に,もっと主観的に,仕事を通しての自分の叫びを表現してみろ!」.私が経営者・上司なら,そう発破をかけるだろう.ちなみに私は,自分が行う事業を次のように定義している──「働くとは何か? に対し目の前がパッと明るくなる学びの場を提供する事業」.そして自分の目指したい姿は「働くとは何か?について第一級の翻訳者になること」.
村山昇氏のコラムより.名文ですね! 数字・数字に追い立てられることは,まったく労働意欲を湧かせないよね.自分たちで世界を変える夢を持ちたいじゃないっすか!