普遍的な教育目的とは

子供たちは,いま学校の教師からも親からも塾の教師からもメディアからも,勉強するのは自己利益の増大のためだと教えられている.同学齢集団の仲間を蹴落として,相対的な優位に立てば,社会資源の分配において有利になると教えられている.いい大学に行き,いい企業に入り,いい地位に就き,いい年収を獲得するために勉強するのだと教えられている.それが常識だと思う人もいるかも知れないが,これは一つのイデオロギーである.そして,このイデオロギーは,そのような単純な思考と規格化された欲望をもつ労働主体と消費主体の大量供給を切望するマーケットの要請によって生まれたものである.この教育観の中には「子供を,いずれ共同体を支えることのできる成熟した公民たらしめる」という教育目的はまったく含まれていない.
昨日に引き続き,内田先生のコラムより.学校教育どころか,新入社員教育でも同じじゃないですかね.上司の命令を忠実に実行する社員教育を施しながら,景気が悪くなると「自律」なんて言い出すわけで.教育というのは根幹をなす,すなわち時代とともに変わることのない不変の根幹を身に付けさせるべきかな.